天秤の錘

何か余りに酷い状況になってるので一言。ここで言ったって影響力なんて微塵もないですが。向こうでコメントしても同じ穴のムジナなので。

Life is beautiful/iPhoneJailbreakの危険性に関してひと言
http://satoshi.blogs.com/life/2008/10/iphonejailbreak.html


ここで触れられてることって、至極まともなことだと思うのです。シンプルに、


iPhoneJailBreakすると悪意を持ったプログラムを実行してしまうリスクが高まりますよ
・そのリスクってのは自己責任という範疇を超えて、自分の連絡先に登録している友人、取引先にも影響しますよ
・そういう面のある「iPhoneJailBreakする」ことがあまりにカジュアルに語られすぎてないか


というだけの話だと思うのですよ。そこで終わり。JailBreakを全否定してるわけでは全然ない。JailBreakをしてる人が過剰に反応する理由はないし、WindowsmacやWMと比べて「比較的安全」とか言う意味も全くない。どうせ母艦とシンクするんだから、も同様。


ただ、過剰反応の原因は、「うまいこと言えてしまった例え」のせいなのだろう、と。これですね。

新宿歌舞伎町のマンションの1階の部屋で窓を開けっ放しで女性が一人で眠る、ぐらい危険なのである。

その状態だと悪いことしようと思った人に対しての防衛策はないよ、というニュアンスで取れば、これ以上ない比喩だと思うので、僕はこの表現を支持したいと思うのだけども、これに対して何故か「Windowsはもっと危ねぇよ」みたいな反応が出てしまっているだけで。JailBreakすることの実際のリスクが「佐賀の一軒家で窓を開けっ放しで女性が一人で眠る、ぐらい危険なのである」程度だとしても、このエントリの警鐘が価値を無くすわけではなくて。そこに偶然、悪意を持った人が通りかかったら、結果は同じなのだから。


僕は「携帯電話」という常時持ち歩くツールであるiPhoneに対し、できればJailBreakというリスクの上がる行為をしたくない。そして現状していないけれども、i.softbankのメールに着信音を鳴らせたり、無線モデム化できる話を聞けば、いいなぁとは思う。applesoftbankが公式に対応してくれるのを気長に待つつもりだけれども、待てない気持ちもわかる。ただ、「Life is beautiful」で語られているようなリスク−自分でなく他人に迷惑をかける可能性−を犯してまで行おうとは思わない。僕は、JailBreakという誘惑に対しての錘を、かなり厳し目にセッティングしているつもりで。あのエントリは、天秤の錘を再定義しようよ、というだけの話なのだと思う。リスクを回避できる能力や慎重さがあるならば、いい。そのとき初めて、錘は軽くできるのである。


あなたの使っている錘は、軽すぎてはいないか?


そんな善意の問いかけに、内省することこそあれ、批判する意味があるとは、思えない。