旅pod

7月31日発の夜行バスで名古屋まで帰るって事はもう3日後に出発ってことになるんだけど、帰省する実感がさっぱり無い。これは何なんだろう、と考えてみると、ひとつ思い当たるフシが。

今まで帰省の準備するとき、まず最初にしてたことが何だったかと言えば、旅用のCDを10枚程度選ぶこと。「この機会にあんま聴いてなかったCDを」だとか「今の気分はこれ」だとか「3日後にこれ聴きたくなりそう」だとか「やっぱり一枚はピコピコ言ってないと落ち着かない」だとか、7日間で聴くCDを10枚に絞るために試行錯誤しながら、その旅自体を組み立てていた気がする。その旅ってのの事前のイメージを象徴してたのが、選んだCDだったとも言えるのかもしれない。

対して、今回決めているのは、「iPodを持っていくこと」だけである。CDを選ぶ過程がないことで、旅に対する想像の仕方をひとつ見失ってるのかもしれない。ってのが、その思い当たるフシってやつなんだけど、考えてたらもうひとつ、iPodを持っていくこと自体に対しても不思議な感じがしてきた。

家の中で、ベッドの次に大きな占有面積のCD。これが手のひらに収まって、持ち出せるメリットってのは限りない。好きな曲を、聴きたくなったときに聴くことが出来るってのはやはり凄いことで、そういう自由を手に入れたことは、素直に嬉しいし、だからこそ生まれる感情ってのがあるだろうことが楽しみではある。一方で、旅というのは不自由なものである。自宅じゃないんだから、当然なのだ。「あぁ、あのCD持って来ときゃ良かった」ってものである。自宅じゃないんだから、CDラックがないのは当然なのだ。iPodで得る自由と、旅の本質的な不自由。このギャップが、ひとつの違和感になっているのかもしれない。

普段iPodを持ち歩くってのは、結局は日常の延長だからいいのだけど、非日常にiPodを持ち出すということの意味を、僕はまだ計れないでいる。旅先で「あー、これ持ってきて良かった」と思いながら、CDをプレーヤーにセットして、聴く。その「モノ」感覚をiPodで得ることが出来るのかということも含めて、それを知るには持ち出してみるしかないわけだけども。全然関係ない話になってきたな…。こんなこと書いてる暇あったら早く準備しろってね。全く。