the pillows tribute/synchronized rockers(続き)

さて、ということで、ここ数日の移動中は常に聴いてたこのトリビュート(ってことはどう少なく見積もっても8時間は聴いてる)。勿論、良いからそれだけ続けて聴けるんだけども、どうも僕は生粋のピロウズマニアのようで。いい悪いの他に、各アーティストが、ピロウズのどこを、どういう風にトリビュートしたのか、とか想像しつつ、マニアックな聴き方もしているわけです。
そして、ひとつの結論。このトリビュートを聴いて、出来不出来よりも、明確に良い悪いを分けたファクター。それは、意思の強さ、ではないだろうか。例えば、数日前に書いた3つのバンドは、楽曲に独自の解釈を加えることによって、それを軽々とクリアし、僕に感銘を与えたと思うのです。一方で、例えば、noodlesの"vain dog"は、特に新しいことをしたわけではないのだけども、ピロウズと付き合いの長いバンドだからこそ成し得た、圧倒的な理解度。これはヌードルズじゃないと出来なかったんだろうなぁ。そして、サロンミュージックとピーズ。こいつらに関しては、僕に理解できない感情を込めて、ピロウズをトリビュートしてくれたと思う。何度聴いても、彼らがこの曲に込めた感情を理解することは出来なかったけど、込められた何か、が半端な量じゃないことだけは、辛うじて拾ったつもり。
日本の音楽シーンの中でも、微妙に特異な立ち位置に立ってきた、ピロウズ。このバンドが、特異な立ち位置にいるってのは、先述した、意思の強さが原因である、と、このトリビュートを聴いて思ったのです。そして、トリビュートを成功させたアーティストは、独自の解釈で歌いこむことによって、あるいは、半端ない理解度によって、その意思を獲得した。その結果、このトリビュートアルバムは、素晴らしい出来となっていると思うのです。
そしてこっから先は与太話になるのですが。僕は、大多数のファンが勝手に思うだろうことだけど、ピロウズの有数のファンであると自覚しております。7年というファン歴は、15年続いたバンドの年月から言えば大したことのない数字かもしれないが、決して短いほうじゃないだろうし。その間、腐るほど聴き込んでも飽きていないし。コピーバンドをやったときは、普段はやらないヴォーカルギターもやって。くどいくらいに歌詞を検証して。このフレーズは、どんな意味を込めて歌ってるんだろう?そんなことばっかり、ずっと考えて。ひょっとしたら、練習した時間よりもそっちのが長かったかもしれないな。例えばそのときのバンドが、このトリビュートのクオリティとかとは比べられないとしても。実際に歌おうとしたら、とてもじゃないけど、半端な気持ちでは歌えない曲が多くて。だから、全ての言葉に、ありったけの自分の解釈を込めて。やったんだよ。だから、各アーティストが、見事にチカラを込めて製作したこのアルバムを、僕はピロウズファンの中でも有数に聴き込める人間であると自覚するし。どう聴き込んだって理解度の低い2アーティストは、これから聴くときは飛ばして聴くだろうし(表現から逃げた1アーティストも勿論飛ばす)。ということで、僕は、ピロウズが大好きです。大好きなんだよ。