バンジージャンプフェスティバル①

BUNGEE JUMP FESTIVAL、解散。この報を聞いて、僕は。大きなショックを受けたと同時に、絶望的に納得したのです。そういう結論を出したんだな、と。ショック、とか簡単に口に出したけども、実際はそんな言葉じゃ言い表せない半端ない色んな感情が渦巻いて。ここ数日の忙しさから、わざとそいつは押し込めていたんだけれども。
しかし、iTunesでランダムにバンジーの曲を聴いているうちに、ひとつ気づいたのです。昨年12月リリース、アルバム「CRUITHNE」収録の曲が、以前と聴いていたのと全く違って聴こえてくる、ということに。

あぁ、僕はこのバンドの何を聴いていたんだろう。何をわかった気でいたんだろう。僕は、このアルバムを、「レコード会社や何やらのしがらみを超えて、バンドの置かれた状況の山を自力で乗り越えての、復活の狼煙」的な位置づけで聴いていたんだけれども、とんでもない。その2年前の、余りに痛々しい為に、却ってそのアティテュードの美しさが光る、アルバム「wasteland」。その、目に見えて悪い状況でもがいている曲たちよりも、圧倒的に深く絶望している曲たちが、「CRUITHNE」には収録されていたのを、何で見過ごしていたんだろう。以前とは段違いに突き抜けた音が鳴っていたから?バカか俺は。例えば、2曲目「アニー」。僕は、発売後のエントリで、この曲を「理由の無い苛立ち」とかのたまってしまったけども。その、歌い出しを引用しよう。

「アニー この世界で一番大切なものにさえ 絶望してしまったら どうすりゃいいんだろう?」

この世界で、一番大切なもの。バンジーが、何も考えずにそんなこと歌うはずがなかった。恥を上塗るかのように勝手な想像をさせてもらうんだけれども、おそらく間違っていない。ここで歌われている、一番大切なもの、ってのは、多分「ロック」だ。以前、ボーカルの町田氏が公式ホームページの日記で、「自分はバンドをやってなかったら、ただのキモイ奴らしい」風な発言をしてたんだけども、うん。本当に、彼にとっては「ロック」ってのは全て(全て、なんて言葉を使うことを許してくれよ)なのだと思う。この「アニー」のサビで、バンジーは尚、こう歌う。

行かなくちゃもう 行くあてもないのに

一番大切なロックに絶望して。それでも行かなくちゃ、歌わなくちゃ、とぶちあげる。僕が、今まで勘違いしていたのは、ここだ。バンジージャンプフェスティバルというバンドは、曲を絶望で終わらせない。必ず最後に、希望を、歌い上げる。「ロックは、楽しくなきゃいけない」。そんな発言をどこかで聞いていた僕は、それは、希望を伝えたいがゆえの構成だと思っていたんだけど、とんでもない。これは、バンジーの、ソングライターの町田氏の、心の拠り所を、歌の中でぶちあげていただけだったんだ。希望は、歌の中で作り出すしかなかった。自分自身を、奮い立たせるために。そして事実、バンジーの曲はそれを希望に昇華させた。そして、僕のような勘違いを生んだわけだ。偉いよ、ほんと。すっげぇ悔しい。

アルバム「CRUITHNE」は全編、(今聴くと)そういう感情で塗り込められているけども、その4曲目に、本当に大好きな、「さよならブルーバード」という曲がある。

何一つ変わらないと 誓ったあの日から
僕はどれだけ 変わってしまったんだろう

なぁ、バンジー。あんたらは、「あの日」からどれだけ変わってしまって、それにどんだけ傷ついてたんだ?それを知るすべなんてないけども、願わくば、教えて欲しい。解散に至る結論を出すときに、誰の心が、何で折れたのか。それに対しても、推測はしてるんだけども。3人とも、じゃなくて、誰か一人だと思ってる。それがわかれば、あんたらの曲を、またひとつ深く聴けると思うんだ。

ごめんよ、バンジー。わかったフリをしてた僕は、あなた達をどっかで傷つけていたかもしれない。バカみたいに無邪気に喜んでたライブ中に。ライブ後に話した時に。あるいはここで書いてる文章を見つけて。それは確実に思い上がりだけども、申し訳ない気持ちでいっぱいです。この解散で、あなた達を苛んできた絶望に、短い間だけでも解放されますように。僕にとって、余りに特別なバンドでした。ラストライブは、是非とも見に行きたいです。瞬間瞬間を誠実に切り取ってきたバンジーの、解散ライブが素晴らしくないわけがない。それは多分本気で、他では絶対に体験できないライブになると思ってます。今日は、ここまでしか言えねぇなぁ。しばらくしたら、また何か書きます。