長い長い言い訳

音楽評論(レビュー)というものがあんまり好きじゃなく。理由は簡単。読んでもCD聴きたくならないから。
音楽レビューの方法には2種類あって、イギリス式とアメリカ式がある、みたいなことをこっちのサイト(時計仕掛けのグランジさん)で見たのですが。僕も似たようなことを考えていて。時計仕掛けさんの方は、直接見てもらう(⇒該当文章への直接のリンクです)として、以下は僕の意見。
要は、レビューは1人称(自分と、その音楽との関わりの視点)か、あるいは、3人称(世間、もしくは業界と、その音楽との関わりの視点)の2通りの視点で書かれることが多い。という話。思い入れがあればあるほど、客観的視点は失われがちだし、一般的な視点で語ろうとすると、当り障りの無い、あるいは現象的な文章になってしまう。どっちにしても、読者としては、接点のある、とか、興味のある、という人しか対象にできないわけです。2人称であるところの、あなた(読者)というものが、根本的に欠落していると思うのです。とは言っても、「音楽って、そういうものじゃん」と言われてしまえばそこまでなのですが。音楽に関わる文章を書く以上、もともと興味のない人を惹きつけられるかどうか。それが最も重要なのではないかと思います。元々好きな人はどうせ、いつかどっかで聴くんだ。
音楽雑誌、というものがあります。こいつのレビューが成立しているのは、雑誌のカラー、というか、ブランド、というか。それで成立しているだけだと思います。まぁ、それが偉いんだけど。僕は、雑誌によるディスクレビューで唯一使えるのは、BARRN!誌(ヘビメタ雑誌)のレビューだけだと思っています。担当者の趣味によるジャンル分け、クロスレビュー、点数制によって、レビューとしては信頼できるシステムになっていると思います(それが音楽的には下世話なものだとしても)。文章だけ取ってみたら、一部の有能なライターさんを除いては、別にweb上で好き勝手に書かれてるレビューと、正直、大差ないと思います。
逆に言えば、雑誌みたいなレビューなら、ある程度音楽に造詣があって、語るべき対象がある人なら、書けるわけです。ただ、それを個人サイトでやっても、僕はあんまり意味がないように感じます。だからこそ、時計仕掛けのグランジさんはweb上でありながら、雑誌を意識したフォーマットを取らずにはいられなかったのだろう、と(勝手に)思うし。個人サイトで音楽レビューをやろう、と考えたときに、一番ネックになるのが、「このレビューは、どこの馬の骨が書いてるのかわからない」ということでしょう。その文章に信頼がおけるのかどうか。流通している雑誌、というのは、そこが大前提になって、読んでもらえるわけです。ここを無視して、それでも尚、そんな文章を書こう、と思ったら、文章として、鑑賞にたえた上で、「それだったら、聴いてみたいな」と思わせる内容を書けるかどうか。それが問題なんだと思います。
それを踏まえた上で。

矛盾しているようですが、僕は、「今、自分が感じたことを、感じたままに書く」という形式での文章を書きたい、という気持ちを押さえきれなくなりました。今回、音楽に関する(というか、既製の作品、出来事全般を含んだ感想の)文章を僕が解禁しよう、と考えたのは。純粋に。今、感じたことを、文章として残しておきたい。そして、出来ることなら、それを読んだ人に、それに興味を持ってもらいたい、と考えたからです。
ただ、今の僕に、それを読み物として昇華する能力もないし、ノウハウもないし、勿論、(例えば雑誌であるとか、アクセス数であるとかいう)権威もない。ので、とりあえず、別コンテンツとして、日記ツールを利用して、「日記」という形式で、別コンテンツとして、書きたいことがある時に、書きたいように書く、という方法を取ろうと思います。偉そうに文章を綴ってきましたが、以上の話をクリアした文章なんて、今、僕は、正直、書けません。いつか書けるのかも、わかりません。まずは、そこに辿り着く為の、第一歩な文章を書いてみたいと思います。それでも見てみたい、という方がいたら、良かったら見てもらえたら嬉しいです。